先週末下山して帰ったTAROさん、台風の様子見をしていましたが今日また山に向いました。
疲れてるのと暑いのと、台風で思うようにスケジュールが進まないのでイライラしています。
私と息子も、なーんのイベントもなしの退屈な夏休みにイライラしています。
なのに毎週末、くさーい登山靴と共にドロドロベタベタで異臭を放つザックが家にあります。
中身の半分は、臭い洗濯物。雨でぬれたまま、ビニール袋に密閉されていることもあります。
それを開封して洗う時といったら、ワンコのウン○の入った古いビニール袋をあける以上です。
TAROさんには困ったクセがあり、彼の歩いた後は超散らかるのですが、
疲れてるとさらに酷くなります。
先週帰宅してベッドに入った後のリビングダイニングの様子は、
床には帰宅して着替えた時に脱いだズボンとワイシャツとベルトが床に散乱。
脱いだワイシャツがダイニング・テーブルの椅子にだらしなく着せてあり、
靴下はPCの前に1個。リビングテーブルの上に1個。カバンは犬のハウスの前。
翌朝出かけた後は、ダイニングテーブルにパジャマの下、ソファにパジャマの上、
リビングの真ん中に、「やっぱりやめたベルト」が長々と鎮座ましまし、
リビングテーブルの上は、ポケットの中身(半分ゴミ)をぶちまけ、
洗面所で使ったタオルは床に投げ捨て、玄関のゲタ箱上に鼻をかんだテッシュ。
週末に釣りなどをしようものなら、玄関前のポーチにぶちまけて片付けてもらうのに一ヶ月。
それも、お約束のように忘れ物かあり、前回の「浮き」まで片付くのに半年かかりました。
彼のこの悪癖は、山仲間やお姑さんも辟易していたそうで同情してもらっています。
神様はどこにでもいるというわけにはいかなかった。
そこで神様は母親をつくり給うた。
(ユダヤの俚諺)
よりかかるべき人ではなく、よりかかることを不必要にさせるべき人。
それが母である。
(D・C・フィシャー)
大学で幼児心理学を学んだ姑は、帝王切開で生んだわが子を手に余し、
退院~幼児期には「子守さん」を雇い、幼稚園からは実家に直行して祖母に預け、
小学生になると「2階のゴミ箱」(TAROさんと妹さんの部屋)には、
何年も上がることなく無理強いもせず、大切に「個性と自主性を育てた」のに、
兄も妹も残念なことに「父方の、汚くても気にしない血が濃いらしくってねぇ~」
いつまでたっても、キレイに暮らす気持ちよさに気がつかなかったのだそうです。
そして、それ以上に困った悪癖があるのですが、その矛先が現在息子に向いています。
体格の良くなった中学生の息子に、人として完全であることを望むのです。
気持ちはわかるし、息子を甘やかす気はありませんがその発想と言い方はあんまりです。
まぁ、幼稚園児にして母親の実家のお手伝いさんに「休んでないで働け」といったそうで、
それを「さすがわが子だ。将来大物だ」と褒めた母親に育てられただけのことはあります。
(もちろん、その場にいた伯母様方には母子で叱られたそうですが。)
子供は、両親が家で話すことを街でしゃべる。
(ユダヤ教典)
子供は父母の行為を映す鏡である。
(スペンサー)
子供は家来ではない。妻は母親でもばあやではない。(だったら休暇と給料よこせ)
こんなケンカになると、凹むのはTAROさんなのですが、とうとう今週は・・・
TAROさんと息子のあんまりなやり取りに、ブチ切れてしまいました。
まるで役に立たない使用人をなじるように、時間が掛かる息子を泣かせたのです。
「この人でなし!」とののしってしまいました。
「人でなしは、あいつ(息子)だろう!ナマイキだ。サボっている。」
あんなことぐらい自分なら30分でできるのに、40分かかって未だできない。
と言い返すのです。
しかも、息子がやっているのは片付けで、TAROさんのできるレベルは上記の通りです。
「意味を知って使ってるのか!恥を知れ受験バカ!」・・・もう止まりません。
受験バカは、現在ネットで「人でなし」を検索すると出てくる「恩知らず」しか知りませんでした。
「ますます人でなしじゃんっ!日本の国立大卒ってそんなレベルかよっ!」
と、愛用の広辞苑を開いて読み上げました。
「人として人らしくない行いをするもの。恩義・人情を解しないもの。人非人」
犬や子供を「人でなしだ、恩知らずだ」と思うのは、人間らしい行いではない。情がない。」
そういうと、「犬ならわかるが、子供は人間だろう。」といいます。
ルイ14世は、その考え方で子供を育てるのが高尚だった時代の産物だ!
と言うと驚いていました。
子供は未熟だから、教育して「人にしなければならない。」のが親の務めです。
子供の未熟さを子供らしさとして認めた上で教育することが、子供の人権を守ることです。
平等とは能力を生かすチャンスの平等であって、その結果得るものは能力次第でなければ
だれが努力をするでしょう?
子供にオトナと同じ能力を求めて「平等だ。」なんて人のすることではありません。
まして、片付けに関してはTAROさんはできてるつもりでも・・・なのです。
ヤンチャなコリーの仔犬が、何も教えなくても時間経過で「名犬ラッシー」になると思う
愚かな飼い主と同じ考えの大人たちに囲まれて、ルイ14世は育ちました。
王の血が、時間経過による体の成長で彼を立派な王にするはずだったのです。
ルイ14世が、どんな王様になったか興味がある方は調べてみてください。
朕(我)は国家なり と言って、国家財政を顧みない戦争と女性関係での浪費をし、
新税や放漫財政で国民を疲弊させてフランス革命の遠因を作った人です。
「ならば、今まで親としてではなく同居人と暮らしてるスタンスだった。」
と、まことに人でなしらしい答えが返ってきました。
「同居人どころか、役立たずで大メシぐらいの居候に見えてたんじゃないの?」
と、あまりに腹が立って悲しくなった私が言い返すと、
頭を冷やしてくると、一人で外に散歩に出かけました。
子供や犬に対し「人でなしだ」と腹を立てる。
その方が人でなしで、親ではありませんよね?
親であるということは一つの重要な職業だ。
だがいまだかつて、子供のためにこの職業の適性検査が行われたことはない。
(バーナード・ショウ)
子供の楽しみに対する敵はいつでも父か教師である。
(永井荷風)
僕がお父さんを愛しているとすれば、
それは僕のお父さんだからというわけじゃなくて、僕の友達だからなんだ。
(ルナール)
一人の父親は、百人の校長に勝る。
(ハーバート)
世の中でも、犬と子供が「人でなし」の意味を知っていたら、
こう言うに違いないと思う事件が、小さなものから大きなものまで目に付くのです。
僕らは犬だ。僕らは子供だ。人でなし!!
私も気をつけなくてはなりません。グズなのはきっと私に似たんですから。