徳川三代将軍家光の乳母で大奥の実力者だった春日の局ことお福様は、
明智光秀の重臣・斉藤利三の末娘で、本能寺の変から逆境に落ち、
父・利三が京の六条河原で処刑されてからは、母・姉達と流転の人生を送ります。
三条西公条の屋敷に匿われ、さらに身辺に危険が迫ると土佐の長宗我部元親を頼り、
17歳のときに、稲葉一鉄の長男重通の娘婿の稲葉正成に後妻になります。
稲葉正成は稲葉一鉄の家来でしたが秀吉の紀州征伐に参加して秀吉の直臣となり、
その後、小早川秀秋の付家老となつて5万石を領したこともあります。
が、家康に寝返った秀秋が呵責に耐えかねて狂死し、正成は浪人となります。
家康が関ヶ原の戦で自分に味方した付家老の稲葉正成の妻の覆歴に目を止めて、
生まれながらにして三代将軍となる運命を背負わされていながら、
虚弱体質に生まれた竹千代(家光)の乳母にお福を選んだと言われます。
お福様は家光に母親以上の愛情をもって育て、
乳離れが済むとお払い箱になるのが普通でしたがそのまま江戸城に留まって、
他の守役青山忠俊、酒井忠利、内藤清次の三人とともに守役になります。
春日局は何事も家康を手本とするようにと、東照宮大権現(家康)の教えを
家光の脳裏にたたき込みます。
実質的に厳しく家光を躾たのは青山忠俊で、青山が厳父、春日局が慈母。
後々も家光から慕われ国母待遇で、縁者は立身出世します。